印度維新

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インド:憲法第370条項廃止、カシミール渓谷のテロ脅威引き上げの背景

 

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なるほど。カシミール渓谷からの避難警告の理由はこれだったか。2019年8月5日、インド政府は大統領令によりジャンムー・カシミール州に特別自治権を認めていたインド憲法第370条項と35(A)条項を廃止した。同日、8000人の軍の増派を決定した。これは何を意味するのであろうか。

 

第370条項によって、ジャンムー・カシミール州では、防衛、外交、金融、通信を除く分野で、州議会の承認なくインド憲法に基づく法律を発効することは不可とされていた。同州は住民の市民権、土地所有権、基本的人権などにおいて、インド憲法に対して治外法権を持っていた。第35(A)条項は同州に永住権を付与する権利を保証していた。例えば、州外のインド国民が同州に自由に移り住んだり、土地や不動産を取得することが不可だった一方、同州の住民はインド国内のどこにでも住み、土地や不動産を取得することができた。また、同州はインドで唯一イスラム教徒が多数派を占める州なのだが、州外の者と婚姻関係を結んだ女性およびその子供は不動産所有資格を失うとも定めていた。第370条項および第35(A)条項の廃止により、同州は議会を持つ連邦直轄領となり、同州の住民には州外のインド国民と同様にインド憲法が適用される。また、同州東部のラダック地方(チベット仏教が支配的)が議会を持たぬ連邦政府直轄領となる。

 

第370条項を廃止することはBJPがまだ小さな政党だった頃からの公約だった。今のところ、海外の反応は静かだ。第370条項と第35(A)条項の廃止によって、インド政府が国際法や国際協定を破った訳ではない。ただ、一部の国内メディアは政府は主要パートナー各国に対しての根回しを終えていたとの憶測記事を出している。しかし、例え彼らから強い反対意見が表明されたとしても、インド政府としては、今回のことは内政問題だという立場だ。仲裁の可能性を示唆したトランプを強くけん制している。1947年の独立時点での領土であるジャンムー・カシミール地方全域がインドの領土であるという立場を明らかにしている。個人的にもこの立場に同意する。

 

1947年の独立以来、インド憲法では全ての宗教、カーストおよびコミュニティに公平でなければならないと謳われている。実際には不十分なところも残るインド社会だが、それが基本的構想だ。イスラム教徒が多数派を占める州にのみ、特別自治権を認める第370条項および第35(A)条項はその基本的構想にそぐわない、という考え方だ。この2つの条項が、カシミール渓谷(イスラム系)の人々に自分たちは特別であり、その他インド人とは同等ではないという考え方を生み、国家統一の妨げになってきた、という考え方だ。実際、この2条項を廃止したのはいいが、今後インド政府が担う責任は重い。カシミール渓谷の人々の思考態度を変えることができるのであろうか。

 

イスラム国家であるパキスタンの反発は確実だ。カシミール渓谷の人々からすれば、州外の国民が土地を取得できるようになり、これまで多数派だったイスラム教徒がヒンズー教徒に取って代わられるという警戒を強めるであろう。では、印パ紛争の再燃となるであろうか?二国間の関係が悪化することは確実だ。しかし、それはカシミール渓谷に限定された地域での紛争であり、インド政府にしてみれば想定内、抑制可能の範囲ということなのであろう。そして、それはパキスタンの経済状況も鑑みてのことであろう。

 

なぜ今だったのか。第二次モディ政権発足後100日以内を目指していた可能性は高いし、8月15日の独立記念日前というのが念頭にあったかもしれない。しかし、大きな背景としては、一つには大国としての自負が十分に高まったからではないだろうか。パキスタンの経済ファンダメンタルズは中国からの支援なしでは存続不可能のところまで来ている。印パの経済格差は著しい。中国の一帯一路プロジェクトはパキスタンではCPEC(China Pakistan Economic Corridor)と呼ばれているのだが、著名なインド亜大陸専門のアメリカ人政治科学者、Christine Fair教授は、CPECを”Colonising Pakistan to Enrich China(中国繁栄のためのパキスタン植民地化)”と揶揄している。

 

一方、主要パートナー各国もそれぞれ忙しい。米中貿易戦争は激化の一途をたどり、香港デモが沈静化する様子はない。日韓関係は史上最悪だ。それ以外でも、イラン制裁、ブレグジットと各国手一杯の状況だ。モディ政権は格好の時機と見たのかもしれない。いずれにしろ、1990年8月5日は多くのインドの人々にとって、「かつてのインドからの脱却を宣言した歴史的な日」として記憶に留められるのではないだろうか。慎重で、受け身の、リスクを取らない、現状維持を好むソフトな国、それが時に国益に適わない時でさえそうだったのだ。今、インドは断固とした姿勢を見せることを厭わない、自信に溢れた国へと変貌を遂げようとしている。折りしも、インド太平洋戦略の主要パートナーである日本が隣国への断固とした姿勢を貫いた日から3日後のことである。

 

 

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