ジョンソン首相のドリーム(パペット)チャンセラー
ジョンソン首相の内閣改造は概ね予想通りの内容になると思われていた。業績が振るわなかったり、ジョンソン首相への忠誠心が十分でないと思われていた大臣は外されるであろうという意味で。しかし、サジド・ジャビド財務相の辞任は世間を驚愕させた。
伝統的に、イギリスの財務相(The Chancellor of the Exchequer)は首相に次ぐ強大な権力を持つ。その権力を上手く行使することで、首相や官邸のチームが経済財務政策に干渉したり、深く関与しようとすれば、その圧力を押し返してきた。実際、首相と財務相の関係はイギリス政府を観察する上で最も興味深いものだ。マーガレット・サッチャーのような力とカリスマ性のある首相の下で、政治的影響力や、決断の自由を確立させるため激しく戦ったジェフリー・ハウやナイジェル・ローソンのような財務相もいれば、デイビッド・キャメロンとジョージ・オズボーンのような友好的で大らかな関係もあれば、ゴードン・ブラウンとトニー・ブレアのような張り詰めた、ほとんど敵対的な関係に至るまで様々だ。
しかし、これまで(少なくとも近代史上)、その力関係が首相とその側近によって完全に牛耳られるという事態に直面する財務相はいなかった。それが2月13日にサジド・ジャビドが直面した事態だ。ボリス・ジョンソンがジャビドに側近の経済チームを全員解雇するよう求めた時だ。ちなみに、彼らは大臣自らが任命する特別顧問で、官僚ではない。イギリスでは全閣僚が自らの特別顧問チームを持っている。財務相の特別顧問は財務省の官僚と協働し財務相の指令を全うする。
ジョンソンの要求は(当然、彼の側近中の側近、ドミニク・カミングスと共に練られたものだろうが)、ジャビドに自ら任命したチームを排除し、首相官邸の経済財政政策チームと協働するよう迫るものだった。この新しいチームの全容は明らかになっていないが、おそらくドミニク・カミングスがそのチームを率いることだろう。ジョンソンは、実質、ジャビドに財務省を自分と自分の側近に引き渡せと要求したに等しい。ジャビドにとってはジョンソン、ひいてはカミングスの部下になることを意味する。このような事態はイギリス政治の近代史上(私が知る限りにおいて)ない。
ジャビドは保守党党首選挙にも立候補した有力な政治家だ。彼は「自尊心ある閣僚であれば誰一人としてあのような条件は受け入れないだろう。」と言い放ち、立ち去った。ジャビドを辞任に追いやり、その結果予想される波乱も意に介さず。ジョンソンの党内における絶対的基盤と自身に対する国民の支持に対する自信の程が伺える。EU離脱にあたり、ジャビドがあまり積極的ではなかった財政出動と公共投資の拡大がジョンソンの目指すところだ。ジョンソンと保守党の新しい支持層(中低所得者層からなる伝統的には労働党の支持層)からの期待に応えなければならない。彼のスローガン「"levelling up" the UK"(イギリス全体をレベルアップ)」を全うしなければならないからだ。
さて、新しい財務相、リシ・スナックとはどんな人物なのか。2015年初当選の彼は政治家としてはまだ駆け出しだ。党内に支持基盤はなく、ジョンソンに極めて忠実であるというだけだ。ジャビドでさえ、メディアからは不当にも"chino (Chancellor in name onlyの略語)"と呼ばれていた。スナックは"baby chino"と呼ばれている。こちらの方は、ジョンソンとカニングスの視点からすれば、かなり正確な呼び名であろう。
インド出身の財務相の誕生をインドメディアも大きく報道した。元ファンドマネジャー(The Children's Investment Fund Management)で、ファンド(Theleme Fund)の共同設立者でもあるリシ・スナックは、インド第2位のIT企業、インフォシスの共同創立者、ナラヤム・ムルティの娘婿でもある。インド、モディ政権も今回の人事を好感するであろう。しかし、イギリス政治にインド出身の政治家は数えられるほどしかいない。彼らが立身出世するために忠誠を尽くしてきた相手はインドではない。むしろ「王より強い忠誠心"more loyal than the King"」あってこそなのだ。モディ首相はそのところをよく心得ていることだろう。
ジャビドの辞任で、ジョンソンの権力は絶大なものとなる。保守党は先の総選挙での大勝利がジョンソン個人の人気とカリスマ性にあると認識している。80議席もの過半数超えが、今後5年間、ジョンソンに公約を達成するための絶大な自由裁量を与え、政治的議論の内容や色調までも統率することを許すであろう。