印度維新

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インド市民憲法改正案に対する抗議デモ - メディアの偏向報道に騙されるな

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一部加筆しました。

 

英語の諺に"Believe nothing of what you hear, and only half of what you see."というのがある。「聞いたことは全く信じるな。見たことは半分だけ信じよ。」ことインドの政治社会情勢に関しては、メディアで読んだことも信じるな、と付け加えたい。

 

インド市民憲法改正案に抗議するデモの様子は先月頭から国内外のメディアに大きく取り上げられ、論争を招いている。国連や様々な人権団体、各国政府も声明を出しており、その大半が批判的なものだ。それら国内外の批判の殆どは反モディ政権、または反インドの立場をとり、市民憲法の改正案やその目的を故意に歪曲している。メディアの偏向報道が自分たちが何に対して抗議しているのかをよく理解していないデモ参加者を更に煽っている。

 

では、インド市民憲法改正案2019(CAA - Citizenship Amendment Act)とは何か。1955年に制定された市民憲法で、不法移民とその子どもたちへの市民権は明確に否定された。今回の改正案は、2014年12月31日以前にインドへ入国したアフガニスタンバングラデシュパキスタンからのヒンドゥー教徒シク教徒、仏教徒ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒キリスト教徒とその家族に関しては不法移民とは扱わず、インドの市民権を認めるというもの。実際、今回の改正案で新たに市民権が認められる人数は100万人未満と見積もられており、かなり少ない。そして最も重要なことは、CAAは当然のことながら、既に市民権を得ている人々には全く影響がない。ではなぜ、10億超の人口を持つ国で、ごく限られたインパクトしかないはずの改正案が人々の怒りや暴動を引き起こしているのか。

 

それを紐解くにはいくつか抑えておくべきポイントがある。今回の改正案で対象外となったイスラム教徒たち。彼らのインドへの不法移民の形態(特にバングラデシュからの不法移民 − バングラデシュは1971年のインドによる解放前には東パキスタンとしてパキスタンに属していた地域である)、そして、1947年のインド独立以降、いかに各政党が彼ら不法移民を政治目的達成のために利用してきたか、である。

 

インド独立にあたっては、イスラム系政治家たちは「ヒンドゥー教徒による支配と迫害が考えられるため、ヒンドゥー教徒が圧倒的多数を占める国ではイスラム教徒は生きられない」と主張した。結果は流血となり、イスラム教徒の祖国となるパキスタンが誕生し、その地は東西に分割された。パキスタン誕生にあたっては人の大移動があったものの、インドに残るイスラム教徒も多かったし、逆に東西パキスタンに残る宗教的少数派も多かった。インド独立、パキスタン誕生から現在に至るまで、複雑な事情で何重にも絡まった糸は未だにほつれていない。

 

時を経て、インド国内のイスラム教徒人口が増加する一方、イスラム3カ国(パキスタンバングラデシュアフガニスタン)では、宗教的少数派が受ける迫害や困難な状況は徐々に悪化し、彼らの人口は減少した。彼らの一部はインドへと渡った。実際、1970年代初頭までの数十年間は、明確に線引きされていなかったインド-パキスタンの国境をかなり自由に越えることができ、彼らはインドの人口の一部として溶け込んで行った。インド独立間もない頃は特に、極一部の人々を除き、殆どの人々が旅券等の公文書を所持していなかったことも彼らにとっては幸いした。代わりに、賄賂さえ払えば簡単に取得できたのが配給カード(配給物資を購入するための権利を認めるカード)だ。この配給カードがあれば選挙人名簿に登録することができた。結果、本来であれば投票権のない人々が投票する権利を付与されてしまった。2010年に登録申請が開始されたアドハー(Aadhaar - 国民識別番号制度)の普及により、現在では配給カードが選挙人登録の際の公文書として使われることはないが、既に選挙人名簿に登録されてしまった人々からその権利を奪うのは容易ではない。

 

1971年の印パ戦争でこの曖昧な国境環境は是正された。戦争勃発前には数百万人の難民が現在のバングラデシュからインドへと流れた。西パキスタン軍によるベンガル人に対するジェノサイドから逃れるためだった。その後、インド軍がパキスタン軍に勝利し、バングラデシュを誕生させたことで、多くの難民が祖国へ戻った。

 

1971年以降、悪化の一途を辿る印パ関係により国境西側の検問が強化された結果(フェンス建設等)、西側から国境を越える人口は減少した。一方、東側の検問は新しい独立国家であるバングラデシュ自体は友好国と見なされたため、緩いままであった(現在は強化され、フェンスも建設)。独立後のバングラディシュは長らく、貧しく、自然災害にも見舞われる国であったため、当該地からインドの東、及び北東地域(主に西ベンガル、トリプラ、アッサム、メガラヤ各州)への不法移民が後を絶たなかった。彼らの一部はその後、デリーやムンバイなどの大都市へと流れた。2004年のコングレス党の試算によると、バングラデシュからインドに渡った不法移民の数は1200万人にのぼるということだ。多くのアナリストが、これらの不法移民の大半がバングラディシュからのイスラム教徒であると見解を一致させている。

 

さて、イスラム教徒からの支持に依存するインドの政党は、これまで如何にして、この不法移民の流入を促し、彼らを利用することで選挙に勝利してきたのであろうか。選挙で勝つためには当然、異なる支持層の異なる利益をつなぎ合わせる力が必要な訳だが、インドでは問題はより複雑だ。宗教、言語、カースト、民族、地域、地理的な事情によってコミュニティが分割されているからだ。そして、伝統的に、この分割されている状態に一番影響を受ける、つまり票割れし易いのが、インドでは圧倒的な多数派を占めるヒンドゥー教徒のコミュニティだった。一方、少数派の結束は固い。最大の少数派であるイスラム教徒(人口の14%)の支持いかんでインド各地の地方選挙の結果は左右されてきた。

 

そして、それら地域政党に増して、イスラム教徒を取り込む戦略に恩恵を受けてきたのがコングレス党である。この戦略が功を奏し、1947年のインド独立以来、彼らは実に数十年にも渡り政権与党として君臨した。この間、コングレス党とムスリム・コミュニティは”共存共栄”の関係であったとも言えよう。ムスリム・コミュニティを意識した教育、雇用政策はコングレス党が選挙で勝利するには極めて効果的であった。しかし、1980年代に入り、インディラ・ガンディーやラジーブ・ガンディーの死去に伴い、コングレス党が弱体化すると、地域政党の力が強まり、少数派に対する宥和政策はより鮮明となった。コングレス党も地域政党も、カーストや地盤から一定のヒンドゥー票を見込むことはできたが、政党が乱立する中で、各政党はイスラム教徒の票田を熾烈に争うようになった。その状況下、コングレス党と一部の政党はバングラディシュから東・東北インドへの不法移民を積極的に促し、それら地域のデモグラフィー(人口統計学的属性)を変えようとしたのだ。しかし、結局、その数に対応しきれなくなり、国境検閲とコントロールを強化したのもコングレス党である。

 

1998年、BJP率いる国民民主同盟(National Democratic Alliance - NDA)が勝利したことがインド政治のターニングポイントとなった。イスラム教徒の票田を狙う戦略から、地域・カーストを超えたヒンドゥー教徒の結束を固める戦略への移行であった。今、モディ首相率いるBJPは次の段階へ進もうとしている。ヒンドゥー教徒の結束を固めるだけでなく、貧困・低所得者層、および中間層の経済社会環境に焦点をあてる政策と、”インドファスト”の政策が他宗教徒からの支持にも繋がり始めているのだ。

 

CAAはこの新しい戦略の一環なのだ。ヒンドゥー教徒の結束を固めるだけでなく、シク教徒、キリスト教徒、仏教徒、その他宗教的少数派からの票を取り込むことができる。多くのインドの人々にとって(キリスト教徒である私自身を含め)、BJPの言い分は至極真っ当で、妥当なものだ。

"In 1947, because the Muslims said that they could not live with us, we split our ancient motherland into three. Unfortunately, these Muslims cannot live in peace with their small minoirty communities. India has a civilisatonal and cultural obligation to provide theses minority refugees with a home. There is no obligation to do so for illegal Muslim immigrants, as they are not fleeing persecution but are comig to India for economic reasons."

以下和訳

「1947年、イスラム教徒は我々とは生きられないと言った。よって、我々は古代からの祖国の土地を三つに分割した。残念ながら、イスラム教徒は宗教的少数派と平和に暮すことができない。インドには、これら少数派の難民たちに安心して暮らせる場所を提供する文明的、文化的義務がある。しかしながら、イスラム教徒の不法移民に対してはその義務はない。なぜなら、彼らは迫害から逃れてきているのではなく、経済的理由でインドに入国しているからだ。」

 

CAAへの抗議デモを支持する野党は上に述べた状況は十分に理解しているはずだ。彼らはイスラム教党の票田を再び掘り起こす戦略をとっている。ある程度の成功は収めるであろう。しかし、インド国民は覚醒し始めている。宗教、カースト、民族を超えて構成されるサイレント・マジョリティはモディ首相を支持しているはずだ。

 

夫著 妻訳

 

 

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