印度維新

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モディ首相の懐刀、新内相のアミット・シャーってどんな人?

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BJP総裁のアミット・シャーが内務相に就任し、支持者は歓喜した。中にはシャーを「我らがサルダル・パテル」と呼ぶものもいる。サルダル・パテルはインドの初代内相兼副首相。インド統一の象徴で、その異名は「鉄の男」だ。昨年グジャラートに完成したパテル像は世界で最も高く(187メートル)、モディの目論見通り、観光の目玉となっている。パテルに比喩されることで、シャーがどれくらい支持者たちに尊敬されているかが分かる。シャーもパテルやモディ同様、グジャラート出身だ。

 

シャーとモディの絆は深い。2001年から2014年までグジャラート州首相を務めたモディの右腕(州内相)だったのがシャーだ。モディ同様、インド人であること、ヒンドゥー教徒であることに強い誇りを持っている。若くしてBJP党員となり、総裁まで登りつめたシャーは1989年以降ずっとモディの選挙ストラテジストだ。シャーのリーダーシップのもとでBJPの党員数は大幅に伸び、インド全域にその勢力は拡大した。

 

シャーは比較的裕福なビジネスマンの家庭に生まれた。グジャラートの大学を卒業後、父親のプラスチックホースの販売ビジネスを手伝い、その後は証券会社や協同組合でも働いた。既婚で成人した息子が一人いる。シャーが子どもの頃より関わっていたのが、Rashtriya Swayamsevak Sangh(RSS)というヒンドゥー至上主義の団体で、80年代初頭にモディとシャーはそこで出会っている。民族義勇団と漢字で書くとおどろおどろしいが、英語ではNational Volunteers Organisationだ。

 

1995年、BJPは初めてグジャラート州議会選挙に勝利した。その頃はまだグジャラートの農村部ではコングレス党(INC)の勢力が強く、モディとシャーは農村部の票集めに奔走した。彼らの戦略は各農村部でナンバー2の権力者を味方につけることだった。農村部の選挙でナンバー2に甘んじた彼らと組むことで、8000人もの地元権力者のネットワークを作り上げたのだ。モディとシャーはその頃から同じ釜の飯を食べてるってわけ。

 

シャーは今回の2019年の総選挙を「第三次パーニーパットの戦い」に喩え、インドの運命を決める重要な戦いだということを広く知らしめた。この戦いの結果が今後のインドを何世紀にも渡って支配するのだと。北インドの覇権を争った1761年の第三次パーニーパットの戦いでは、マラーター連合(ヒンドゥー勢力)がアフガン勢力ドゥッラーニー朝(イスラム勢力)に激戦の上敗れた。131もの戦いに勝利していたマラーター連合がたった一度この戦争に敗れたことで、インドの統一勢力の解体と弱体化を招き、ひいてはイギリスに約200年もの植民地支配を許すことになったというもの。シャーはこの失敗を繰り返すなと国民に呼びかけた。

 

INCの票集めはインドを分裂させるやり方だ。彼らはカースト、地域、宗教、言語のそれぞれの分野でターゲット層を持つ。INCにとって、マイノリティー意識の強いイスラム教徒やキリスト教徒は票田の一部、ターゲットグループなのだ。対してBJPは、古代ヒンドゥー文明からの連続性や文明体としての自負を国民の中に呼び起こしながら、カースト、地域、宗教、言語の壁を乗り越えて団結する力を生み出した。

 

さて、BJPとパキスタン犬猿の仲だ。イギリスで開幕した2019クリケットW杯では、5月31日(シャー内務相の初日)、パキスタン西インド諸島代表チームに惨敗した。BJP支持者のクリケットファンの間ではシャーの威力がすでに発揮されていると持ち切りだ(笑)

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シャーの後ろにはチャナッキア(左)とビール・サブカル(右)の肖像画



 

 

 

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