印度維新

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チャイワラ(お茶売り)のモディ

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今さらなんだけど、なぜナレンドラ・モディ首相はそんなに人気があるのかしら?なぜ彼はインドの人々、特に若者たちの夢と野望を叶える希望の星となってるの?BJPを単独マジョリティ二期に導いた勝因である彼とは一体何者なんでしょ?

 

モディ首相はインド政治にパラダイムシフトを起こした。1947年の独立以降、インドの政界はネルー・ガンディー王朝率いるコングレス党(INC)によって概ね牛耳られていた。インド初代の首相であるジャワハルラール・ネルーカシミールの上位カーストの家系に生まれ、ケンブリッジ大学で自然科学と法律の学位を取得している。娘のインディラ・ガンディー、その長男ラジーヴ・ガンディーも首相となり、ラジーヴ・ガンディーが暗殺されると、その基盤はイタリア人の未亡人、ソニア・ガンディーに引き継がれた。ソニア・ガンディーは首相になったことは一度もないが、2004年から10年続いたマンモハン・シン政権(連立政権)をINC総裁として影で操る権力だった。今回の総選挙はその息子であるラーフル・ガンディーがINC総裁かつ首相候補として戦った。で、惨敗した。

 

政治、メディア、ビジネスを長く支配したネルー・ガンディー王朝とその仲間たちに共通するのは、彼らが概ねヒンドゥーの上位カースト出身で、英国の教育、文化を享受したエリートたちということ。Dhoon School、St. Stephen's College, Delhi Universityといったイギリス植民地時代に設立された学校で学び、オックスブリッジなど海外の大学に留学する。彼らはヒンディー語や母地域語より英語を得意とし、欧米感覚と価値観を持ち、ヒンドゥー教徒やインド人としてのアイデンティーは超希薄、どころか、そんなものには上から目線だ。一方で、彼らの統治の仕方は封建的だった。国民はエリートである我々の命令に従がエィとばかりにね。

 

インドでは彼らのことを"Lutyens' Delhi"(ラッチェンスのデリー)と呼ぶ。彼らの多くがそこに住むからだ。イギリス植民地時代にエドウィン・ラッチェンスによって建築されたデリー中心部の官庁街かつ高級住宅街だ。最近、モディ首相は彼らのことを新しい名前で呼んでいる。"Khan Market Gang" 。デリーのお洒落なマーケットのカフェにたむろするからだとさ(笑)

 

さて、我らがスター、ナレンドラ・モディは彼らの真逆だ。出自はインド憲法上、OBC(Other Backward Class:社会的および教育的に後進な諸階層)と分類される下位カースト。極貧の中で育ち、駅でお茶売りをする父親を手伝った。ヒンドゥー至上主義で、清廉潔白としても知られるモディはインド人であること、ヒンドゥー教徒であることに強い誇りを持っている。英語は通訳を必要としないほどだが、ほとんど話さない。BJP国会議員の多くがそうだ。公の場ではヒンディー語か母地域語しか話さない。INC国会議員との大きな違いだ。

 

モディ首相の人気の元はその人格やカリスマ性、政治手腕だけでなく、一般のインド人の痛みが分かるってことが大きいのよね。彼が推し進める政策の中には日本人の私にとってはビックリするような「全ての家に電気を。トイレを。プロパンガスを。銀行口座を。」なんてのが含まれるんだけど、中でも政府が支給する生活保護費や助成金を直接自分の銀行口座で受け取れるようにしたことは大きい。エライ!地域の政府窓口で受け取るには時間がかかり過ぎていた。アドハー(Aadhar)と呼ばれる国民識別番号制度や、物品・サービス税(GST)の導入も結果的に低所得者層を助けている。(この話はまた今度)

 

圧勝で二期目を迎えるモディ首相にインドの人々はとても親しみを感じているようだ。自分たちのように考え、話し、堂々とヒンドゥー教徒で、インド文明固有の価値観を尊重し、自分らの希望や夢を理解してくれる我らが大将。もっと言えば、INCが手付かずのままにしたインドの社会的、経済的病巣を根治して、変革させるための難しくて汚ぁい仕事を一手に任せたい人物だってことのようだ。

 

モディ首相は"Naya Bharat"(ナイヤバラットゥ)、「新しいインドを」と国民に呼びかける。社会的、文化的に失われていたインド文明の再構築を意識させる、インドの若者たちを高揚させるスローガンだ。チャイワラ(お茶売り)とは2014年の選挙の時、INCがモディを茶化した(笑)ニックネームだ。INCの逆風となったことは間違いない。以来、モディ首相は勲章として、好んで自らのことをそう呼んでいる。

 

 

 

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