印度維新

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イギリス:ジョンソン新内閣にインド亜大陸系議員4人

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ジョンソン新内閣が発足した。ブレグジット強硬派で固められ、「戦時内閣」とも「ロッキー・ホラー・ショー」とも揶揄されるのだが、もう一つ特筆したいのは、主要ポストに4人のインド亜大陸系議員が任命されたことだ。(写真の左から)サジド・ジャビド新財相(49)、プリティ・パテル新内相(47)、アロク・シャーマ新国際開発相(51)、リシ・スナック新財務首席政務次官(39)だ。インドメディアは好感しているようだ。実際、彼らの、特にジャビド財相以外の、3名の任命でインドとの関係がことさら強化されるとは思えぬが、期待を抱かせる人事ではある。逆に、彼らでなくともジョンソン政権がインドとの関係を強化したいことは明らかだ。結果的に有口無行となってしまったメイ政権のインドとの通商強化はジョンソンが引き継ぐ。

 

金融出身のサジド・ジャビドはパキスタン系の第2世代、初の少数民族出身の財相だ。メイ政権で内相となった時も同様で、「ガラスの天井を打ち破った」とも評された。1961年にイギリスに移民した父親はバスの車掌だったという。エクセター大学で政治経済を学び、サッチャーを尊敬し保守党に入党。ドイツ銀マネジング・ダイレクターだったが、2010年に下院議員に初当選。キャメロン政権では経済担当政務官、金融担当政務官、文化メディアスポーツ相、ビジネスイノベーション技能相を歴任。メイ政権では内相の前は住宅・コミュニティ・地方政府担当相だった。レファレンダムでは残留に投票したが、「クローゼット離脱派」と思しき言動が過去にあった。今では国民の「離脱」の意思を全うさせることが使命と表明している。今回の党首選にも立候補しており、将来の首相を目指していることは間違いない。イスラム教徒の家に生まれたが、イスラム教実践者ではない。夫人はキリスト教実践者だ。一男三女の父。現在のロンドン市長、サディク・カーンはパキスタン系で、夫婦でイスラム教実践者だ。EU圏首都初のムスリム市長となった。イギリス社会の少数民族に対する寛容度は国外の人々が想像する以上に高い。将来、ジャビド首相の誕生は大いにあり得る。

 

プリティ・パテルと言えば、メイ政権の国際開発相だったが、休暇中にイスラエル首相や要人と無断で会談したことで引責辞任したことが記憶に新しい。キャメロン政権では財務政務次官と雇用担当閣外相を歴任している。今回、初の少数民族出身の女性の内相に任命された。両親はウガンダ系インド人でイディ・アミンの暴政からイギリスに逃れた。彼女自身はイギリスで生まれている。キール大学とエセックス大学で経済と政治を学び、2010年に下院議員に初当選。BAME(Black and Minority Ethnic)と呼ばれることを嫌悪しており、自らはイギリス生まれイギリス育ちの正真正銘のイギリス人としている。離脱派の急先鋒。保守党の中の「極右」と評されることもある。サッチャーライトを自負するダイハードEU懐疑派だ。イスラエル要人との無断会談を巡っては、メイ辞任後の党首選に立候補するための資金集めか、との憶測も流れたが、結局、党首選ではジョンソンの支持に徹した。キャメロン辞任後の党首選ではメイを支持した。勝ち馬に乗るのが上手い。一男の母。

 

アロク・シャーマはインドのアグラで生まれ、5歳の時に両親とイギリスに移民した。サルフォード大学で応用物理学を学び、後に会計士資格を取得、コーポレイト・ファイナンシャル・アドバイザーとして一時は日興証券にも勤務したとか。二女の父。2010年に下院議員に初当選。メイ政権ではアジア・太平洋地域担当の政務官、住宅担当閣外相、雇用担当閣外相を歴任。かのグレンフェル・タワー火災の時に、住宅担当大臣だった。当初、対応の遅さが被害者側から非難されたが、国会で涙を堪え声を震わせながら答弁したことがメディアに取り上げられ、風向きが変わった。レファレンダムでは残留に投票したが、今はブレグジットを国民に届けるべきとしている。2016年には首相肝いりのインフラ使節団として訪印、同年のグローバル・インベスターズ・サミットへはイギリス代表団を率い、インド各界の要人たちと会っている。夫人はスェーデン人。

 

元ファンドマネジャー(The Children's Investment Fund Management)で、ファンド(Theleme Fund)の共同設立者でもあるリシ・スナックは、インド第2位のIT企業、インフォシスの共同創立者、ナラヤム・ムルティの娘婿だ。二女の父。イギリス生まれ。両親もイギリス生まれで父親はNHSの医者、母親は薬局を経営している。イギリスのパブリックスクールのトップ校の一つ、ウィンチェスター・カレッジを出、オックスフォードのリンカーン・カレッジで哲学と政治経済を学んだ。フルブライト奨学生としてスタンフォードMBAも取得している。2015年に下院議員に初当選。メイ政権では地方政府担当の政務官だった。離脱派。

 

今はイギリスがインドと通商を超えた関係を再構築するのに残された最後の機会だ。すでに名目GDPでは追い抜かれているインドだが、まだまだイギリスが恩を売れる分野は少なくない。米中印はかつてイギリスの植民地であった。イギリスエリートと極限られた旧インドエリートが何と言おうと、被植民者からすれば不幸な歴史だったに違いない。インドが経済大国として台頭し、国際政治力をつけてくる中、過去の通説(イギリスは植民地時代たくさんの恩恵をインドにもたらした云々)は塗り替えられるだろう。謝罪も賠償もしていない(盗品も返還していない)、今後もしないであろうイギリスにもやれることは多々残っている。

 

 

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